感受性の欠如、凍ったハートを溶かしてくれるもの

間が空いてしまいました。 
2月何してたんだっけ。お芝居を観て、あとはWebデザインの勉強を必死にやっていました。必死にやらないとこなせない課題があったもので。。一生懸命な自分、嫌いじゃない。
お芝居は、「バンク・バン・レッスン」と「天才バカボンのパパなのだ」を観ました。コメディタッチのヒューマンドラマと不条理劇といったところでしょうか。演劇のジャンルというものには詳しくないのですが、そんな感じなのかな。どちらも面白かったです。結構耳に響きました。俳優さんって声でかいんですね。小さいと聞こえないので困りますが、大きいと圧倒されてしまうので程々が私には心地よいかと思います。不条理劇というものをおそらく初めて観ました。うーん難しい。分からないなりに楽しみました。

ここ2年ぐらいかなー、と思うのですが、感受性がなくなりました。なくなるものではないと思うのですが、なくなった感覚。私は心療内科で処方されて飲んでいる薬と何か関係があるのではないかと怪しんでいるのですが、まあ普通にウツが良くなると感情の揺らぎもなくなるものなのかもしれません。とにかく泣かなくなった。いいことなのかもしれないけれど。なんかつまらなくなってしまいました。泣くほど感情を揺さぶられることは今後ずっとないのかと思ったり、単にずっとウツっぽかっただけで私の感受性なんて元々ショボいものだったのではないかと思ったり。
厨二病の子が「俺には感情がない」などと言っちゃう感じみたいでなんかなーと恥ずかしいのですが、年齢を重ねると感動する余裕もなくなるのでしょうか。(厨二病の「感情がない」は誇大表現なので中学生の親御さんは心配なさらなくて大丈夫ですよ)
泣くだけじゃなく笑わなくなってきた。よく爆笑していたのに、今ではニヤ…とするぐらいです。面白くない世の中でも自分で面白がっていこうぜ!でもね〜爆笑はプロの仕事なのです。私は劇場にお笑いを観に行った方が良いのではないでしょうか。行こうかな。
そんなわけで何となく落ち込んでいる最近です。感受性の欠落。

ここまで書いていてはたと、はた!と思い出したのですが、私は幼少期から25歳ぐらいまで何を言われても何をされても傷つかない氷のハートを持っていました。なぜかというと、幼少期に周りの大人たちに傷つけられて苦しい思いをしたので、何か酷いことを言われてもされても何も感じないように心が勝手に防御をしていたのですね。しかし大人になってから「悲しみも怒りも喜びも感じていい」と知って、ようやく感受性が戻ってきたんですね。もちろん何も感じていなかった時期も、心はめげなかったけれどストレスで体はボロボロでした。感受性が戻ってきてからは、ストレスを心と体の両面で受け取るようになってしまい心身共にボロボロになりましたが、本を読んだり映画を見たり空想したりして泣いたり笑ったりホッコリしたりする心も芽生えて何というかとても世界が眩しかった。
今、再び感受性を失っているのはもしかしたら世界で起こっていることを受け止めきれなくて、氷のハートが戻ってきてしまったからかもしれません。なんという繊細なおばさん。。
凍ったハートを溶かしてくれるものを探します。ロマンチックな旅の予感。

今日のブログは話があっちゃこっちゃ行ってしまっていますが、考えながら書いておりますゆえ矛盾点などありましても温かく見守ってください。
それではまたお会いしましょう。