雨が好きな私は「雨が好きな私」が好きなのか

「かわいい~」って言っている人は「かわいい~」って言っている自分をかわいいと思っているとか、なんちゃらが好きって公言している人は「なんちゃらが好きな自分」が好きとか、この論法(?)は結構古くから使われていて、この前も若手芸人がロケでそんなことを言っていたので今日日まだそんなことを言っている人がいるのかと思い私はその芸人を「おもんない芸人」枠に入れたのですが、未だにそういう論法が生きているんですね。死語みたいになっていると思っていました。
ある漫画の中に「雨が好きって言ってる奴は雨が好きな自分が好き」という感じのセリフを見つけて、マァッ!と思いました。
※参照:たくあんムスメたち。(ここのかーしゃんのファンなのです。他の漫画も面白いので読んでみてください)
特に若い人は気にしてしまうかと思うのですが、好きなものを素直に好きと言いづらくなるこの論法というか俗説はいい加減滅びてほしいです。
というか、本当にこの説は合っているのでしょうか?
「フランス映画が好き」な人は、本当に「フランス映画が好きな自分が好き」でしょうか?違いますよね。周りが「オシャンティーぶって、きっとそんな自分のことが好きなナルシストに違いない」と思ったとしてもその人はただ「フランス映画が好き」というだけですよね。
「コーヒーが好きで豆にはとことんこだわっている」人は、「コーヒーが好きで豆にこだわる自分が好き」なわけではないですよね。無類のコーヒーマニアというだけです。
「酒が好き」な人は「酒が好きな自分が好き」でしょうか?いいえ、むしろ酒で失敗したり酒代がかさんだりしてそれでも酒をやめられない自分のことを好きになれるとは思いません。(それは酒を飲みすぎる人に限りますが)
「そんな自分が好きなんだろう」というのは周囲の目から見て勝手にキャラクターをつけられているだけで、「好き」と公言している人は本当にただ「好き」だからそう言っているわけです。本当に「そんな自分が好き」だったらそう言うと思いませんか?「俺、唐揚げが好きな自分が好きなんだよね……」って。
ていうか、自分が好きということは悪いことでも何でもないのに、なぜか「自分大好きやな」と嘲笑しようとしてくる人はしばしばいますね。なぜだ。君は自分のことが嫌いなのか。自信持てよ。君にだっていいところの一つや二つは探せばあるはずさ。

私は雨が好きです。太陽を隠す雨雲のやさしさ。心にさらさら降って、悲しい気持ちを肯定してくれるから。
雪が降る直前の暗い雲も好き。小学校の帰り道に降る牡丹雪を想像してわくわくした気持ちで登校しました。
好きなものというのはその人の心の中だけに存在する愛おしい世界を作り出すもので、その人を装飾するものにはなりえないのだろうと思います。